真理ノート
「真理の探究」サイト→コチラ
日記
◎2008-12-10
(3) 統治のノウハウ
ここで出て来たのが、統治のノウハウとしての宗教とするなら、そこからの脱却というのも、相当に難しそうだ。
でも、樹上生活からの離脱の時に、何だか分からない「愛」というものを発揮した人類だったからこそ、目に見えない者=神にも服従もできたのだろう。
だが、真実と「統治のノウハウ」のための神とは、明確に区別すべきだろう。そうしないと、なかなか理解は深まらないかもしれない。
以上をブログに。
「「続スピリチュアリズム入門」への感想15を、サイトにアップしよう。
第2章(2)《真》の暴走
見出し。
[真の語の魔力]
[最上位,唯一]
[詩的陶酔境を生む絶好の用語]
続いて、第3章。ここは、重点書き出し。
・言い換えれば、神様の最終目標はポテンシャルの高度化,増殖なのである。
・この世に、既に存在するありとあらゆる事物は、それを製造する時点では、目的であったが、その後それは、ポテンシャルを追求するためのテクネ(手段)になっているのである。だから、人類も、神様のポテンシャル作りのよきテクネ(手段)になれば、神様の御期待に沿い、《功徳》が頂ける分けである。 ・人類の神様にとっての具体的な効用(手段としての価値)は、ポテンシャル作りのロボットなのである。
・生物の進化では、情報制生産と言っても、情報それ自体の高度化は、まだ、無機の力(3つの吸引力とエネルギー)だけによっておられ、それは、完全な情報制生産にはなっていなかった。
・人類には、目的(価値方向)を定めて事物を生産する……《情報制生産》を行う……能力がある。無機の時代には、それが行えなかったのである。
・神様には、生命の進化の後、生体元素以外のそれ等の残された元素を原材料として、ポテンシャルの高度化,増殖という最後の大仕事をなさるお積もりが、最初から有ったのである。
・神様には、生命の進化の時代の後、人類文化が進化する時代を到来させて、一層のポテンシャルの創造,増殖を図るお積もりが有ったから、神様は、生体元素以外の多量の重元素を作り出され、それを、超新星的爆発などの時代をも乗り越えて、そのまま今日まで温存し続けて来られたのである。 ここまでを書き写そう。
◎2008-12-03
(3) 統治のノウハウ
の読み進め。
・人類は、体毛を失うという危機に直面して、生活様式を全く変えた。『樹上という砦を洞窟に換え、そこに母子を隠(かく)し、防衛のための男子を残して、残りの男達が狩猟採取に出かける』それが新しい生活様式の大略である。
・自己採取のサルの場合は、全員が食糧生産に従事している。それに対して、母子と留守居役を残して行う人類の狩猟採取では、食糧生産に従事できる労働力が大幅に減ずる。そのため、労働の生産性を飛躍的に高める必要があった。
・人類は、男子一人の生産力という経済的要請から、このときハーレム制を止めて、《一夫一婦制》に切り換えたのである。
・サルの権力による統治の仕組みは、ボスザルによる腕力(フィジカル)統治である。
・人類は、第2次地上復帰に当って、社会集団の統治構造を根本的に改変する革命を行なったのである。いや、そうした革命に成功した毛のないサルが、人類に昇格したと言った方が正確である。
・集団構成員の《信》の獲得に成功しさえすれば《神》は万能なのである。信者は《神》の命には絶対に逆らえない。ボス統治より宗教統治の方が優れている所以である。即ち、毛のないサルは、規範を作り、それを神の命(戒律)として集団の構成員に遵守させるという、新しい集団構成のノウハウを入手したのである。そして、そのとき毛のないサルは、人類に昇格したのである。
以上。
第2章の見出し。と思ったら、間違っていたので、
(2)《真》の暴走
を作り直した。
「真理の探究」に、「続スピリチュアリズム入門」への感想14とリンク集追加。
安達論文第3章。
(2) 人類は、どういうタイプのテクネ(手段)なのか
[ポテンシャル造りの良きテクネ(手段)]
[神様は、神様に似せて、人をお作りになった]
[生命(人類)は、神様の最終目的物ではない]
◎2008-11-28
第1章は、
(3) 統治のノウハウ
の見出しを書こう。
[狩猟採取経済]
[一夫一婦制]
[サルの統治法]
[人類の統治法]
4つだな。
第2章は、次の原稿。
本文
第3章も、次の原稿だな。
本文
◎2008-11-23
第1章は、
(3) 統治のノウハウ
だ。
本文
を追加した。
第2章は、リンク関係の整理だな。→完了
第3章もリンク関係を作ろう。
◎2008-11-20
毛のない、と言うことは、生存を脅かすようなマイナス材料だった。ところが、そんな毛のないサルが生き延びて行ったのは、僕には、そこに強い絆があったような気がしてならない。さらに、言うなら、そこにあったもの、それこそが「愛」ではなかったかと思う。
この時の、すばらしい「愛」を人間は忘れてはならないだろう。
続いて第2章。転記だ。
・牧口常三郎は《真》の価値カテゴリーを「嘘を付いてはいけない」と言う《倫理的当為》だと思い込んでしまったようである。いや、牧口だけではない、日本人には、今でも、《真》の価値カテゴリーを「嘘を付いてはいけない」という《倫理的当為》だと思っている人が多いと思う。
・弁証法的な構造に出来ているこの宇宙では、神様も、ループ・ターンをしなければならなかったり、ジグザグ前進をしなければならないことがよくあった。釈迦も、高度な真理を説くためには、一旦嘘を真理だと言って説き、次の段階でそれを否定訂正するという、インド哲学で言う所の《ネチネチの法則(否定の否定の法則)》を使って、段階的に弟子達を教導して行く必用があったのである。
・ところで、実は「嘘を付いてはいけない」というのは《真》の価値カテゴリーに属する価値命題ではないのである。そこに「いけない」という語があるように、それは《べし・ べからず》即ち《当為(ゾルレン)》に関する価値命題であり、《倫理的当為》即ち《善》の価値カテゴリーに属する命題なのである。
・ドイツ観念論等の認識論的哲学が研究を重ねて来た《真》の価値カテゴリーというのは、そうした当為命題ではない。それは、当為(ゾルレン)とは別次元の《であるか・でないか》即ち《存在(ザイン)》に関する価値カテゴリーなのである。
・アリストテレスは、そうした「テクネ(手段)の真偽は合目的性だ」と言っている。
以上。
続いて第3章。こちらも転記。
・古代の奴隷には、いくら願っても、現世には御利益(ごりやく)などないというのが現実であった。そういうことで、奴隷達は、現生を諦(あきら)めて、来世だけに希望を託す完全な来世応報型の宗教を拝(おが)み始めた。そして、そうした諦(あきら)めの宗教なら、叛乱の因にもならず、支配者階級にとっても好都合である。だから、その信仰は、支配者からも容認された。
・真の神様は、人々誰もが、功徳(くどく)を欲しがることを望んでおられる。いや、寧ろ神様は、功徳(くどく)を最も強く求める者に、沢山の功徳(くどく)を下さるようである。生物の上陸のところで、神様が、上陸を最も強く求めた魚に、肺呼吸その他の上陸に必要な機能を次々と重ねてお与え下さり、その者に上陸を果たさせて下さったことを述べたが、これは、神様が、功徳(くどく)を強く求める者に、功徳(くどく)を沢山下さる良き例だと思う。
・いずれにせよ、神様は、人々が功徳(くどく)を求めることを希望しておられる。それは、上の例からも分かるように、功徳(くどく)を求める者は、必ず、神様の御期待に沿をうと努力する人だからである。 ・そのように《罰》や《功徳》は、神様が、この宇宙を御意志の方向に誘導して行かれるに際してお使いになった、また、これからもお使いになる、最も基本的なテクネ(手段=技術)なのである。
・《罰》は《選択(死)》と《警告(苦痛)》の2つの機能を持っている。そして、《功徳》にも《選択(生存)》と《褒賞(快感,快楽,幸)》の2つの機能がある。なお、人類の場合、生きている間に受ける《罰と功徳》は、その殆どが、反省を求める《警告(苦痛)の罰》と督戦のための《褒賞(快,楽,幸)の功徳》である。 ・動物である人間の場合は、神様は、神様の御期待に沿った活動(行い)をする者に功徳(くどく)を下さることは、間違いなさそうである。
日記
◎2008-12-10
(3) 統治のノウハウ
ここで出て来たのが、統治のノウハウとしての宗教とするなら、そこからの脱却というのも、相当に難しそうだ。
でも、樹上生活からの離脱の時に、何だか分からない「愛」というものを発揮した人類だったからこそ、目に見えない者=神にも服従もできたのだろう。
だが、真実と「統治のノウハウ」のための神とは、明確に区別すべきだろう。そうしないと、なかなか理解は深まらないかもしれない。
以上をブログに。
「「続スピリチュアリズム入門」への感想15を、サイトにアップしよう。
第2章(2)《真》の暴走
見出し。
[真の語の魔力]
[最上位,唯一]
[詩的陶酔境を生む絶好の用語]
続いて、第3章。ここは、重点書き出し。
・言い換えれば、神様の最終目標はポテンシャルの高度化,増殖なのである。
・この世に、既に存在するありとあらゆる事物は、それを製造する時点では、目的であったが、その後それは、ポテンシャルを追求するためのテクネ(手段)になっているのである。だから、人類も、神様のポテンシャル作りのよきテクネ(手段)になれば、神様の御期待に沿い、《功徳》が頂ける分けである。 ・人類の神様にとっての具体的な効用(手段としての価値)は、ポテンシャル作りのロボットなのである。
・生物の進化では、情報制生産と言っても、情報それ自体の高度化は、まだ、無機の力(3つの吸引力とエネルギー)だけによっておられ、それは、完全な情報制生産にはなっていなかった。
・人類には、目的(価値方向)を定めて事物を生産する……《情報制生産》を行う……能力がある。無機の時代には、それが行えなかったのである。
・神様には、生命の進化の後、生体元素以外のそれ等の残された元素を原材料として、ポテンシャルの高度化,増殖という最後の大仕事をなさるお積もりが、最初から有ったのである。
・神様には、生命の進化の時代の後、人類文化が進化する時代を到来させて、一層のポテンシャルの創造,増殖を図るお積もりが有ったから、神様は、生体元素以外の多量の重元素を作り出され、それを、超新星的爆発などの時代をも乗り越えて、そのまま今日まで温存し続けて来られたのである。 ここまでを書き写そう。
◎2008-12-03
(3) 統治のノウハウ
の読み進め。
・人類は、体毛を失うという危機に直面して、生活様式を全く変えた。『樹上という砦を洞窟に換え、そこに母子を隠(かく)し、防衛のための男子を残して、残りの男達が狩猟採取に出かける』それが新しい生活様式の大略である。
・自己採取のサルの場合は、全員が食糧生産に従事している。それに対して、母子と留守居役を残して行う人類の狩猟採取では、食糧生産に従事できる労働力が大幅に減ずる。そのため、労働の生産性を飛躍的に高める必要があった。
・人類は、男子一人の生産力という経済的要請から、このときハーレム制を止めて、《一夫一婦制》に切り換えたのである。
・サルの権力による統治の仕組みは、ボスザルによる腕力(フィジカル)統治である。
・人類は、第2次地上復帰に当って、社会集団の統治構造を根本的に改変する革命を行なったのである。いや、そうした革命に成功した毛のないサルが、人類に昇格したと言った方が正確である。
・集団構成員の《信》の獲得に成功しさえすれば《神》は万能なのである。信者は《神》の命には絶対に逆らえない。ボス統治より宗教統治の方が優れている所以である。即ち、毛のないサルは、規範を作り、それを神の命(戒律)として集団の構成員に遵守させるという、新しい集団構成のノウハウを入手したのである。そして、そのとき毛のないサルは、人類に昇格したのである。
以上。
第2章の見出し。と思ったら、間違っていたので、
(2)《真》の暴走
を作り直した。
「真理の探究」に、「続スピリチュアリズム入門」への感想14とリンク集追加。
安達論文第3章。
(2) 人類は、どういうタイプのテクネ(手段)なのか
[ポテンシャル造りの良きテクネ(手段)]
[神様は、神様に似せて、人をお作りになった]
[生命(人類)は、神様の最終目的物ではない]
◎2008-11-28
第1章は、
(3) 統治のノウハウ
の見出しを書こう。
[狩猟採取経済]
[一夫一婦制]
[サルの統治法]
[人類の統治法]
4つだな。
第2章は、次の原稿。
本文
第3章も、次の原稿だな。
本文
◎2008-11-23
第1章は、
(3) 統治のノウハウ
だ。
本文
を追加した。
第2章は、リンク関係の整理だな。→完了
第3章もリンク関係を作ろう。
◎2008-11-20
毛のない、と言うことは、生存を脅かすようなマイナス材料だった。ところが、そんな毛のないサルが生き延びて行ったのは、僕には、そこに強い絆があったような気がしてならない。さらに、言うなら、そこにあったもの、それこそが「愛」ではなかったかと思う。
この時の、すばらしい「愛」を人間は忘れてはならないだろう。
続いて第2章。転記だ。
・牧口常三郎は《真》の価値カテゴリーを「嘘を付いてはいけない」と言う《倫理的当為》だと思い込んでしまったようである。いや、牧口だけではない、日本人には、今でも、《真》の価値カテゴリーを「嘘を付いてはいけない」という《倫理的当為》だと思っている人が多いと思う。
・弁証法的な構造に出来ているこの宇宙では、神様も、ループ・ターンをしなければならなかったり、ジグザグ前進をしなければならないことがよくあった。釈迦も、高度な真理を説くためには、一旦嘘を真理だと言って説き、次の段階でそれを否定訂正するという、インド哲学で言う所の《ネチネチの法則(否定の否定の法則)》を使って、段階的に弟子達を教導して行く必用があったのである。
・ところで、実は「嘘を付いてはいけない」というのは《真》の価値カテゴリーに属する価値命題ではないのである。そこに「いけない」という語があるように、それは《べし・ べからず》即ち《当為(ゾルレン)》に関する価値命題であり、《倫理的当為》即ち《善》の価値カテゴリーに属する命題なのである。
・ドイツ観念論等の認識論的哲学が研究を重ねて来た《真》の価値カテゴリーというのは、そうした当為命題ではない。それは、当為(ゾルレン)とは別次元の《であるか・でないか》即ち《存在(ザイン)》に関する価値カテゴリーなのである。
・アリストテレスは、そうした「テクネ(手段)の真偽は合目的性だ」と言っている。
以上。
続いて第3章。こちらも転記。
・古代の奴隷には、いくら願っても、現世には御利益(ごりやく)などないというのが現実であった。そういうことで、奴隷達は、現生を諦(あきら)めて、来世だけに希望を託す完全な来世応報型の宗教を拝(おが)み始めた。そして、そうした諦(あきら)めの宗教なら、叛乱の因にもならず、支配者階級にとっても好都合である。だから、その信仰は、支配者からも容認された。
・真の神様は、人々誰もが、功徳(くどく)を欲しがることを望んでおられる。いや、寧ろ神様は、功徳(くどく)を最も強く求める者に、沢山の功徳(くどく)を下さるようである。生物の上陸のところで、神様が、上陸を最も強く求めた魚に、肺呼吸その他の上陸に必要な機能を次々と重ねてお与え下さり、その者に上陸を果たさせて下さったことを述べたが、これは、神様が、功徳(くどく)を強く求める者に、功徳(くどく)を沢山下さる良き例だと思う。
・いずれにせよ、神様は、人々が功徳(くどく)を求めることを希望しておられる。それは、上の例からも分かるように、功徳(くどく)を求める者は、必ず、神様の御期待に沿をうと努力する人だからである。 ・そのように《罰》や《功徳》は、神様が、この宇宙を御意志の方向に誘導して行かれるに際してお使いになった、また、これからもお使いになる、最も基本的なテクネ(手段=技術)なのである。
・《罰》は《選択(死)》と《警告(苦痛)》の2つの機能を持っている。そして、《功徳》にも《選択(生存)》と《褒賞(快感,快楽,幸)》の2つの機能がある。なお、人類の場合、生きている間に受ける《罰と功徳》は、その殆どが、反省を求める《警告(苦痛)の罰》と督戦のための《褒賞(快,楽,幸)の功徳》である。 ・動物である人間の場合は、神様は、神様の御期待に沿った活動(行い)をする者に功徳(くどく)を下さることは、間違いなさそうである。
