「続スピリチュアリズム入門」への感想9
「続スピリチュアリズム」の考察も第四章に移りつつある。ここで出てくるのが、
第四章 天使・妖精
という項目だ。この冒頭には、
「地上界に人間やさまざまな動物がいるように、霊界にもさまざまな“霊的存在”がいる」
として天使、妖精について書かれている。シルバーバーチによる真実の神の人類救済という主張もあれば、守護霊・背後霊についての記述もある。そして、さらに天使・妖精と、こうした記述を見ると、スピリチュアリズムとは、これまでの宗教、日本の仏教・神道やキリスト教、さらにキリスト教の異端派の主張をゴチャ混ぜに網羅しているようにも見えてしまうが、どうなんだろう。
ここで大事なのは、人間は、この地球上にいきなり人間として登場したわけではなく、動物が進化を重ね、生まれたものである、という、ごく当たり前な視点である。確かに、
「地上界に人間やさまざまな動物がいる」。
だが、それは、すべて進化の産物だ。その例外はない。だとすれば、
「地上界に人間やさまざまな動物がいる」から、「霊界にもさまざまな“霊的存在”がいる」では、説明にはなっていない。もし、仮に天使、妖精といった存在がいるとするなら、霊界にも地上界とは別途の進化の原則があるのか、または、天使、妖精といった存在も、地上界の進化の原則を反映したものでなければならない。そして、仮に、霊界に地上界とは別の進化の原則があるのであれば、霊界の魂が、わざわざ地上界での生活を体験することによって進化など行う必要はない。だとすれば、この天使、妖精といった存在も、地上界とは無関係ではなく、地上界の進化の原則を反映したものと考えるしかない。もちろん、それが存在したら、の話ではあるが・・・。
では、天使、妖精とは一体、何なのか。ここには、
「妖精は、物質界のバクテリアや原生動物、赤血球、白血球のような働きを、幽界次元で行っている。そうした末端の妖精には、自意識も知性もない。こうした妖精が無数集まり、集団で協同して自然現象などを現出する」
とあるが、まさに、それである。つまり、この世界で「現世に存在する時間」を体験し、「成長に伴う個々のドラマ」を演じているのは、人間だけではない、と言うことだ。動物も植物も、原生動物も、バクテリアも、生命というのは、すべてが、この2つを共有している。どうしてキリスト教も、スピリチュアリズムも、人間だけを特別な存在と考えるのだろう。人間に守護霊・背後霊というものがいるとするなら、動物にも、植物にも、守護霊・背後霊といったものがいると考えても不思議ではない。それどころか、この地球にも、これまで生命の進化を育んできたという、明確な意志がある。もし、天使、妖精というものが本当に存在するとするなら、まさしく人間以外の霊、意志こそが、その正体ではないだろうか。
そう考えると、この世界に、人間の霊とは異なる霊があっても、当然の話だ。そうだとすれば、
「地上界に人間やさまざまな動物がいるように、霊界にもさまざまな“霊的存在”がいる」
という記述も間違ってはいない。ただ、
「天使は、神の造られた世界の運営・秩序の維持のために働き、神の法律の執行役、神の造られた世界の役人として、神の意志を伝え、経綸運行の役割を担っている」
「妖精は、天使からの命令と愛を受け、自然界の造化の役割を担う職人として末端の仕事に勤(いそ)しむ霊的生命体である」
というのは、明らかな間違いだ。この宇宙には、そんな「唯一絶対神」など存在しない。そんな「唯一絶対神」が天使や妖精を使って、この宇宙に関与しようとすることなど、まったくないと言っていい。
スピリチュアリズムの「行過ぎた人間中心主義」と「唯一絶対神思想」の2つについては、僕は、とても賛同する気にはなれない。
第四章 天使・妖精
という項目だ。この冒頭には、
「地上界に人間やさまざまな動物がいるように、霊界にもさまざまな“霊的存在”がいる」
として天使、妖精について書かれている。シルバーバーチによる真実の神の人類救済という主張もあれば、守護霊・背後霊についての記述もある。そして、さらに天使・妖精と、こうした記述を見ると、スピリチュアリズムとは、これまでの宗教、日本の仏教・神道やキリスト教、さらにキリスト教の異端派の主張をゴチャ混ぜに網羅しているようにも見えてしまうが、どうなんだろう。
ここで大事なのは、人間は、この地球上にいきなり人間として登場したわけではなく、動物が進化を重ね、生まれたものである、という、ごく当たり前な視点である。確かに、
「地上界に人間やさまざまな動物がいる」。
だが、それは、すべて進化の産物だ。その例外はない。だとすれば、
「地上界に人間やさまざまな動物がいる」から、「霊界にもさまざまな“霊的存在”がいる」では、説明にはなっていない。もし、仮に天使、妖精といった存在がいるとするなら、霊界にも地上界とは別途の進化の原則があるのか、または、天使、妖精といった存在も、地上界の進化の原則を反映したものでなければならない。そして、仮に、霊界に地上界とは別の進化の原則があるのであれば、霊界の魂が、わざわざ地上界での生活を体験することによって進化など行う必要はない。だとすれば、この天使、妖精といった存在も、地上界とは無関係ではなく、地上界の進化の原則を反映したものと考えるしかない。もちろん、それが存在したら、の話ではあるが・・・。
では、天使、妖精とは一体、何なのか。ここには、
「妖精は、物質界のバクテリアや原生動物、赤血球、白血球のような働きを、幽界次元で行っている。そうした末端の妖精には、自意識も知性もない。こうした妖精が無数集まり、集団で協同して自然現象などを現出する」
とあるが、まさに、それである。つまり、この世界で「現世に存在する時間」を体験し、「成長に伴う個々のドラマ」を演じているのは、人間だけではない、と言うことだ。動物も植物も、原生動物も、バクテリアも、生命というのは、すべてが、この2つを共有している。どうしてキリスト教も、スピリチュアリズムも、人間だけを特別な存在と考えるのだろう。人間に守護霊・背後霊というものがいるとするなら、動物にも、植物にも、守護霊・背後霊といったものがいると考えても不思議ではない。それどころか、この地球にも、これまで生命の進化を育んできたという、明確な意志がある。もし、天使、妖精というものが本当に存在するとするなら、まさしく人間以外の霊、意志こそが、その正体ではないだろうか。
そう考えると、この世界に、人間の霊とは異なる霊があっても、当然の話だ。そうだとすれば、
「地上界に人間やさまざまな動物がいるように、霊界にもさまざまな“霊的存在”がいる」
という記述も間違ってはいない。ただ、
「天使は、神の造られた世界の運営・秩序の維持のために働き、神の法律の執行役、神の造られた世界の役人として、神の意志を伝え、経綸運行の役割を担っている」
「妖精は、天使からの命令と愛を受け、自然界の造化の役割を担う職人として末端の仕事に勤(いそ)しむ霊的生命体である」
というのは、明らかな間違いだ。この宇宙には、そんな「唯一絶対神」など存在しない。そんな「唯一絶対神」が天使や妖精を使って、この宇宙に関与しようとすることなど、まったくないと言っていい。
スピリチュアリズムの「行過ぎた人間中心主義」と「唯一絶対神思想」の2つについては、僕は、とても賛同する気にはなれない。
