「続スピリチュアリズム入門」への感想5
どうも、これは僕の悪い癖で、タイトルを「続スピリチュアリズム入門への感想」としながら、前回は、話が脱線してしまったようだ。僕の考察など、いつでも書けるので、ここではタイトルに沿って、進化ではない宇宙の存在理由と、その観点からの守護霊、背後霊の役割について考えてみたい。
「続スピリチュアリズム」では、守護霊の役割とは、ズバリ、
「地上人の魂の成長」
であると書かれている。そのために守護霊は、「最大限の努力・援助」をしていると言うのだ。具体的には、
「“インスピレーション”を通して善い思いを持つように仕向けたり、“悪霊の妨害”を防いだり、また“霊的エネルギー”を注いだりする」
とあり、何故、守護霊、背後霊が、そんなことを行うのかという理由については、
「自らも必要な“因縁”を切ったり、“埋め合わせ”の道を歩む」ため
とある。
しかし、僕には、どうしても、この「魂の成長」という意味が分からない。「魂の成長」とは、人格者になることなのか。人格者とは何か。前作「スピリチュアル入門」には、
「利他愛こそ最高の実践徳目であり、“霊的真理”の中心なのである」
と書かれていたが、その「利他愛」を、より多く持つことが「魂の成長」の中身なんだろうか。
「利他愛」とは、自分を捨てて、他者に愛を持て、という意味か。それとも、あくまで、自分を愛するように他人をも愛せよ、という意味なのか分からないが、究極的に考えれば、すべての生命は、他の生命を栄養として、自分の中に取り込むことでしか生存すらできない。よく、宗教の中では「牛を食べるな」とか、自然保護団体が「鯨を食べるな」などと言っているが、牛が良くて、鯨がダメと言っても、牛がダメで鯨はいいと言っても、それは単に価値観の問題に過ぎない。殺生はダメで植物は食べてもいいと言っても、植物も生命であることは変わりはない。
僕は少し前に、悪とは「無知と必然である」と書いたが、「利他愛」で自分の目の前の人に愛情を注いでいる人が、別の側面では「無知」によって人を傷つけていることもあれば、「必然」によって他の生命を食料にして生きているとするなら、この「利他愛」というのは、自分の善を満足させるだけの単なる「自己満足」と言っても過言ではないだろう。
つまり、僕らが「魂の成長」=「利他愛」を持った人格者をを目指しているという考え方は、言ってみれば、単なる「自己満足」以外の何物でもない。地上人に、守護霊、背後霊も加わって「自己満足」を目指すことが、ここで言う「魂の成長」なんだろうか。
ここで「魂の成長」ではなく、「人間の成長」、「動物の成長」、「植物の成長」といった「成長」というものを考えたい。
広い意味の生殖によって、この世界に生まれた命は、そこから成長して、人間にしろ、動物にしろ、植物にしろ、広い意味での大人になっていく。その中には、運悪く、大人になる以前に、命の炎が消えてしまうものもあるだろう。それに同じ人間という種族、同じ名前の動物、植物でも、その成長には、成長の仕方に種族としての一定の共通点はあるが、同じものは1つとしてない。その成長に伴うドラマは、1つ1つがすべて異なるだろう。
簡単に言えば、生命とは、すべて、誕生し、大人になり、死んでいく。その大人になっていく過程が「成長」であり、そこには「成長に伴う個々のドラマ」は存在するが、「善悪」の概念など存在しない。この「成長」に伴う必須のものは何かと言えば、それは「現世に存在する時間」、それのみである。
言い方を変えれば、誕生し、大人になり、死んでいくのが生命であり、その大人になっていく過程が「成長」である。そこには「成長の伴う個々のドラマ」は存在するが、必須のものは「現世に存在する時間」、それのみである。これを、もっと簡単に言えば、親がどう思っても、時間が立てば子供は勝手に成長し、大人になってしまう、ということである。
ここまで書けば、僕には、この宇宙の「成長」という概念が明らかになった気がする。2000年前のキリストの時代と比べると、この世界には「2000年」という「現世の時間」が経過した。その2000年の間にスピリチュアリズムが言うところの「魂の成長」に、どれほどの実績があったというのだろう。僕には人間の精神そのものが、とても変わったようには思えない。だが、この2000年の間に人間社会には着実に変わったものがある。それが人間の知識であり、文明であり、科学技術である。これを人間の「進化」と呼ぶなら、この宇宙において、「魂の成長」などよりも、もっと明確な「成長」の概念は「進化」だと考えて間違いはないだろう。
冒頭に「進化ではない宇宙の存在理由」と書きながら、再び「進化」の問題に話が戻ってしまい恐縮だが、以上のように、この世界の成長概念を考えてみると、そこには「進化」という概念が出て来ないわけにはいかない。と言うよりも、この世界の成長概念は「進化」だけで十分なのである。だが、それだけ「進化」を強調しながら、この宇宙の存在理由が「進化」ではないとするなら、それについてのキーワードも、ここまでに、ちゃんと登場してきた。それは、
1、「現世に存在する時間」という概念
2、「成長に伴う個々のドラマ」という概念
の2つだ。親から見れば、子供は放っておいても、大人になるように見えるが、子供から見れば、大人になっていくことは、そんなに簡単なことではない。僕は、この2つの概念の中に、この宇宙の存在理由があると思うのだが、それについては次回、考えたい。
「続スピリチュアリズム」では、守護霊の役割とは、ズバリ、
「地上人の魂の成長」
であると書かれている。そのために守護霊は、「最大限の努力・援助」をしていると言うのだ。具体的には、
「“インスピレーション”を通して善い思いを持つように仕向けたり、“悪霊の妨害”を防いだり、また“霊的エネルギー”を注いだりする」
とあり、何故、守護霊、背後霊が、そんなことを行うのかという理由については、
「自らも必要な“因縁”を切ったり、“埋め合わせ”の道を歩む」ため
とある。
しかし、僕には、どうしても、この「魂の成長」という意味が分からない。「魂の成長」とは、人格者になることなのか。人格者とは何か。前作「スピリチュアル入門」には、
「利他愛こそ最高の実践徳目であり、“霊的真理”の中心なのである」
と書かれていたが、その「利他愛」を、より多く持つことが「魂の成長」の中身なんだろうか。
「利他愛」とは、自分を捨てて、他者に愛を持て、という意味か。それとも、あくまで、自分を愛するように他人をも愛せよ、という意味なのか分からないが、究極的に考えれば、すべての生命は、他の生命を栄養として、自分の中に取り込むことでしか生存すらできない。よく、宗教の中では「牛を食べるな」とか、自然保護団体が「鯨を食べるな」などと言っているが、牛が良くて、鯨がダメと言っても、牛がダメで鯨はいいと言っても、それは単に価値観の問題に過ぎない。殺生はダメで植物は食べてもいいと言っても、植物も生命であることは変わりはない。
僕は少し前に、悪とは「無知と必然である」と書いたが、「利他愛」で自分の目の前の人に愛情を注いでいる人が、別の側面では「無知」によって人を傷つけていることもあれば、「必然」によって他の生命を食料にして生きているとするなら、この「利他愛」というのは、自分の善を満足させるだけの単なる「自己満足」と言っても過言ではないだろう。
つまり、僕らが「魂の成長」=「利他愛」を持った人格者をを目指しているという考え方は、言ってみれば、単なる「自己満足」以外の何物でもない。地上人に、守護霊、背後霊も加わって「自己満足」を目指すことが、ここで言う「魂の成長」なんだろうか。
ここで「魂の成長」ではなく、「人間の成長」、「動物の成長」、「植物の成長」といった「成長」というものを考えたい。
広い意味の生殖によって、この世界に生まれた命は、そこから成長して、人間にしろ、動物にしろ、植物にしろ、広い意味での大人になっていく。その中には、運悪く、大人になる以前に、命の炎が消えてしまうものもあるだろう。それに同じ人間という種族、同じ名前の動物、植物でも、その成長には、成長の仕方に種族としての一定の共通点はあるが、同じものは1つとしてない。その成長に伴うドラマは、1つ1つがすべて異なるだろう。
簡単に言えば、生命とは、すべて、誕生し、大人になり、死んでいく。その大人になっていく過程が「成長」であり、そこには「成長に伴う個々のドラマ」は存在するが、「善悪」の概念など存在しない。この「成長」に伴う必須のものは何かと言えば、それは「現世に存在する時間」、それのみである。
言い方を変えれば、誕生し、大人になり、死んでいくのが生命であり、その大人になっていく過程が「成長」である。そこには「成長の伴う個々のドラマ」は存在するが、必須のものは「現世に存在する時間」、それのみである。これを、もっと簡単に言えば、親がどう思っても、時間が立てば子供は勝手に成長し、大人になってしまう、ということである。
ここまで書けば、僕には、この宇宙の「成長」という概念が明らかになった気がする。2000年前のキリストの時代と比べると、この世界には「2000年」という「現世の時間」が経過した。その2000年の間にスピリチュアリズムが言うところの「魂の成長」に、どれほどの実績があったというのだろう。僕には人間の精神そのものが、とても変わったようには思えない。だが、この2000年の間に人間社会には着実に変わったものがある。それが人間の知識であり、文明であり、科学技術である。これを人間の「進化」と呼ぶなら、この宇宙において、「魂の成長」などよりも、もっと明確な「成長」の概念は「進化」だと考えて間違いはないだろう。
冒頭に「進化ではない宇宙の存在理由」と書きながら、再び「進化」の問題に話が戻ってしまい恐縮だが、以上のように、この世界の成長概念を考えてみると、そこには「進化」という概念が出て来ないわけにはいかない。と言うよりも、この世界の成長概念は「進化」だけで十分なのである。だが、それだけ「進化」を強調しながら、この宇宙の存在理由が「進化」ではないとするなら、それについてのキーワードも、ここまでに、ちゃんと登場してきた。それは、
1、「現世に存在する時間」という概念
2、「成長に伴う個々のドラマ」という概念
の2つだ。親から見れば、子供は放っておいても、大人になるように見えるが、子供から見れば、大人になっていくことは、そんなに簡単なことではない。僕は、この2つの概念の中に、この宇宙の存在理由があると思うのだが、それについては次回、考えたい。
