「スピリチュアリズム入門」への感想
身内の人間を亡くすということは、大変ショッキングな出来事である。そんな出来事を体験した僕は、インチキ宗教にとっては、騙しやすいカモであることは間違いない。それらしいことを聞かせてもらえれば、今の僕なら何でも信じてしまうだろう。それどころか、僕自身、救いを求めて、死後の世界や宗教に関する本を、ここ数年、何冊、購入しただろう。インターネットでも「霊」とか「死」といった文字をキーワードにして、様々なページを訪問した。
今の僕の基本姿勢は、疑いではない。どちらかと言えば、多少、言っていることに矛盾があっても、信じたいのである。信じさせてほしいのである。信じたい、信じさせてほしいからこそ、本を読み、ホームページにアクセスをするといった行動を続けている。
今回、そんな僕がたどり着いたのが、
スピリチュアリズム入門(http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Espbook/spb-nyuumon.htm)
というページだ。そこには、「死後の世界の確証が得られる」といった表現も書かれていた。「死後の世界の確証」というのは、僕が一番、望んでいるものの1つである。以前にはシルバーバーチの本にも目を通したこともあるが、ここで自らの考えを整理するためという目的も含め、改めて、このホームページの書き込みについての感想をまとめてみたい。
「宗教的真理」に関して言えば、多くの人々が信じているからと言って、それが事実とは限らないし、有名人が信じているからと言っても、それも、また事実とは限らない。逆に言えば、多くの人々が信じていると言っても、それが、ほとんどすべてではないとするなら、多くの人が信じていない、とも言える。有名人だって、すべての有名人が信じていないのであれば、多くの有名人が信じていない、とも言える。だから、僕は「多くの人々が信じている」などと言った表現では、信じられない。
例えば、このHPの第1部第二章で取り上げられているフォックス姉妹の話も、
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E5%A7%89%E5%A6%B9
にも書かれている通り、その後の紆余曲折によって、真偽の判断がしにくい話であって、これが「死後の世界の確証」であるとは、到底、考えられない。この騒動自体が、1800年半ばの時代の出来事であって、あまりにも古すぎる、と言わざる得ない。この話題を扱うとすれば、あくまで「発端となった」というくらいだろう。
現代の人間は「死後の世界の確証」を持っているだろうか。少なくとも僕は持ってはいない。ここには高級霊が当初「人間は死んでも“霊魂”として生き続けることを教えるため」に、こうした現象を行い、今では、その目的が「霊的真理を伝えること」に移行したように書かれているが、もし、本当に高級霊といった存在が、そのような判断を下しているとするなら、高級と言う割には、随分と軽率な判断と言わざる得ないだろう。
それどころか、物理的心霊現象が第一次世界大戦をピークに減少したとするなら、それは高級霊が目的を変更したというよりも、そうした現象が、科学的反論に耐え切れなくなった、と考える方が、妥当だろう。そう考えると、
「霊界通信とか霊媒現象といわれているものの中で本当に信用に足るものは、全体のごく一部――わずか五パーセント程度にすぎないという結論を出している。残り九十五パーセント――つまり大部分の霊界通信は信用できないというのである」
というのも、「霊界通信」がインチキであることの単なる言い訳にしか聞こえない。
「真理」とは千年経ようが、二千年経ようが「真理」である。「ピタゴラスの定理」は、何年立とうが「真理」である。「真理」を浸透させるのに、あわてる必要など毛頭ない。その都度、正しさを証明すれば、誰も「真理」を疑うことはないだろう。にもかかわらず、それを一大ムーブメント、高級霊による人類救済や、そのための信者獲得といった運動に結びつけるのは、それが「真理」ではないからではないか。僕には、そう思えてならない。
今の僕の基本姿勢は、疑いではない。どちらかと言えば、多少、言っていることに矛盾があっても、信じたいのである。信じさせてほしいのである。信じたい、信じさせてほしいからこそ、本を読み、ホームページにアクセスをするといった行動を続けている。
今回、そんな僕がたどり着いたのが、
スピリチュアリズム入門(http://www5e.biglobe.ne.jp/%7Espbook/spb-nyuumon.htm)
というページだ。そこには、「死後の世界の確証が得られる」といった表現も書かれていた。「死後の世界の確証」というのは、僕が一番、望んでいるものの1つである。以前にはシルバーバーチの本にも目を通したこともあるが、ここで自らの考えを整理するためという目的も含め、改めて、このホームページの書き込みについての感想をまとめてみたい。
「宗教的真理」に関して言えば、多くの人々が信じているからと言って、それが事実とは限らないし、有名人が信じているからと言っても、それも、また事実とは限らない。逆に言えば、多くの人々が信じていると言っても、それが、ほとんどすべてではないとするなら、多くの人が信じていない、とも言える。有名人だって、すべての有名人が信じていないのであれば、多くの有名人が信じていない、とも言える。だから、僕は「多くの人々が信じている」などと言った表現では、信じられない。
例えば、このHPの第1部第二章で取り上げられているフォックス姉妹の話も、
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E5%A7%89%E5%A6%B9
にも書かれている通り、その後の紆余曲折によって、真偽の判断がしにくい話であって、これが「死後の世界の確証」であるとは、到底、考えられない。この騒動自体が、1800年半ばの時代の出来事であって、あまりにも古すぎる、と言わざる得ない。この話題を扱うとすれば、あくまで「発端となった」というくらいだろう。
現代の人間は「死後の世界の確証」を持っているだろうか。少なくとも僕は持ってはいない。ここには高級霊が当初「人間は死んでも“霊魂”として生き続けることを教えるため」に、こうした現象を行い、今では、その目的が「霊的真理を伝えること」に移行したように書かれているが、もし、本当に高級霊といった存在が、そのような判断を下しているとするなら、高級と言う割には、随分と軽率な判断と言わざる得ないだろう。
それどころか、物理的心霊現象が第一次世界大戦をピークに減少したとするなら、それは高級霊が目的を変更したというよりも、そうした現象が、科学的反論に耐え切れなくなった、と考える方が、妥当だろう。そう考えると、
「霊界通信とか霊媒現象といわれているものの中で本当に信用に足るものは、全体のごく一部――わずか五パーセント程度にすぎないという結論を出している。残り九十五パーセント――つまり大部分の霊界通信は信用できないというのである」
というのも、「霊界通信」がインチキであることの単なる言い訳にしか聞こえない。
「真理」とは千年経ようが、二千年経ようが「真理」である。「ピタゴラスの定理」は、何年立とうが「真理」である。「真理」を浸透させるのに、あわてる必要など毛頭ない。その都度、正しさを証明すれば、誰も「真理」を疑うことはないだろう。にもかかわらず、それを一大ムーブメント、高級霊による人類救済や、そのための信者獲得といった運動に結びつけるのは、それが「真理」ではないからではないか。僕には、そう思えてならない。
