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(7) 追分道から神様の御意向を判読

(7) 追分道から神様の御意向を判読

本文

[神様は活動する生物がご入用であった]
[動物が同化作用をしない不思議]
[脊椎動物と節足動物]
[生物の上陸]
[追い付け追い越せ]
[交尾式生殖]
[定向進化]
[行き過ぎの進化]

・生物の進化が始まってまず最初に現れる重要な追分道は、動物の登場である。動物の登場は、それ以前に、植物の進化が20数億年も行なわれ続けて来ており、そこで改めて起こったもので、前掲の判読方法(後法優先の原則)を適用すれば、やはり、動物の方が神様の御意向に沿った、更に一歩進化を進めた生物ということになる。
・二酸化炭素の補給だけのことなら、植物が今でも行なっている《呼吸作用》をより強化すればそれで十分だったはずである。即ち、神様が、そこで改めて動物という構造的に全く異質な新しい生物をお作りになったのは、もっと重要な目的があってのことだったのである。動物の特徴(イデア=本質)は、呼吸して炭素を酸化させ、その酸化エネルギーを消費して《活動》をするところにある。そして、結論から先に言うと、どうやら神様は、その活動をする生物がお入り用だったのである。
・炭酸同化は、大変高度な生体機能で、動物が、炭酸同化を止めたことは、進化というより、寧ろ退化というべき変化なのである。神様が、植物より更に進化した生物をとお考えなら、同化作用も行なえ、更に酸素呼吸も行なえる生物をお作りになった方がより合理的であったはず。だが、神様は、そうはなさらなかった。
・動物の活動は、専ら食料探しのときに行なわれている。そして、その生死に係わる食料探しのために、動物の活動能力は、今日まで進化し続けて来たのである。若し、動物に炭酸同化が行なえたら、そこにじっとしていても十分栄養が摂取出来、食料探しのために活動する必要などなくなる。活動の必要がなければ、活動能力の進化も殆ど行なわれず仕舞であったであろう。即ち、神様は、食糧探しで、動物の活動能力を鍛(きた)えるべく、動物には同化作用が出来ないようになさったのである。いずれにせよ、動物に同化作用が出来ないということは、神様が、《活動》する生物を作り出そうとしておられたことの、大きな証拠と言えると思う。
・節足動物は、今でも隆盛を極めている。種(差異)の数量という点では、脊椎動物は、節足動物の足下(あしもと)にも寄れないだろう。だから、若し、生物の進化が種の数の増加(差異の増殖)を目的とするものだったら、当然、節足動物の進化の道が本道だったことになる。だが、どうもそうではなかったらしい。
・節足動物の身体の築造技術には、外骨格という構造が採用されている。どうやらそれが両者の明暗を分けたようである。
・カンブリア紀(6億年前)には、脊椎動物を除く他の殆どの門段階の動物が登場している。脊椎動物一つだけが、どういう分けか、それから4千万年程遅れてオルドビス紀になって登場して来る。ひょとすると、神様は、最初は節足動物に御自身の目的を果たさせるお積もりでおられたのかもしれないのである。
・大型化は内骨格の脊椎動物の専売特許であった。恐竜やクジラのような超巨大な動物の出現も、脊椎動物なればこそのものである。量から質への転換の法則から、ある程度大型にならなければ、体内機能の高度化に期待が持てない。きっと、そういうことで、神様は、改めて、脊椎動物を作り足されたのである。
・海の脊椎動物は、その後も魚類だけで、それ以上の分化を全くせずに今日まで来てしまった。それに対して、陸上の脊椎動物は、その後一気に進化の速度を速めて、爬虫類,哺乳類,鳥類というよに、三っつに分化し、進化を重ねて今日に至っている。
・新たに身に付けた機能として念頭に浮かぶのは、肺呼吸と足による歩行の二つだと思う。だが、この二つには、進化のスピードをアップするような機能は備わってはいない。上陸するに当って、どうしても身に付けなければならなかった機能で、あまり学術界で重視されない機能がもう一つある。《交尾》により体内受精させる生殖である。
・水中の動物の場合は、雌雄が同時に排卵と放精を行い、後は水任(まか)せの生殖である。水任(まか)せでは、例(たと)え有性生殖を行なっていても、確実性のある優性選択のシステムなど作り出せない。実は、優性選択のシステムは、《交尾式生殖》なればこそのものなのである。即ち、上陸した動物達は《交尾式生殖法》を身に付けて、優性選択のシステムをフルに使って、進化のスピードを一気に加速して行ったのである。なお、《交尾式生殖》は、脊椎動物では爬虫類,哺乳類,鳥類の三類だけである。節足動物では昆虫類,蜘蛛類,多足類等上陸したものの全てがそれを行っているようである。両棲類は、まだ生殖は水任(まか)せである。
・6千万年の間、馬が只管(ひたすら)大きくなり続けてきたような進化や、マンモスの牙や孔雀の尾羽根のように、若干《行き過ぎ》の観がある進化のことを《定向進化》と呼ぶ。そうした進化は、突然変異と淘汰原理だけでは起るはずのない進化である。《定向進化》は、今は、雌(めす)の好みによって形成されるハーレム式婚姻によってのみ起る進化だとされている。
・巨大化は《交尾式生殖》をやる者の専売特許ということになる(恐竜,鯨,バルキテリューム,マンモス,ジンベイ鮫,マンタ)。そして、その巨大化が、交尾式生殖の専売特許であるということは、優性選択の威力が絶大であることのよき証拠でもある。神様は、動物の最後の仕上げを《交尾式生殖》による優性選択の仕組みを活用して行なおうとなさり、生物に上陸をお命じになったのである。
・交尾式生殖を基盤にした優勢選択は《行き過ぎの進化》を齎(もたら)す。この場合、行き過ぎの意味だが……孔雀の尾羽根などの場合、その美しさというようなポテンシャルの面には行き過ぎなど存在しない。行き過ぎは、尾羽根の効用に関してのことである。効用という価値には、極大の変曲点があり、そこを越えると、逆に効用が減ずることになるというような性質がある。だから、生存の効用には行き過ぎがあるのである。
・我々は孔雀の尾羽根やマンモスの牙を進化のし過ぎと考えるが、神様は、それを進化のし過ぎなどとは思っておられないのである。即ち、生物の進化で、神様が求めておられるのは、生存にとっての効用ではなく、孔雀の尾羽根のような、ただ純粋に、質的に高度なもの、即ち《ポテンシャル》なのである。


 植物は動かなくても、自ら餌を探さなくても、太陽の光を浴びるだけで生きていくことができる。もし、殺し合いをするということが「悪」であるなら、植物は、一部の食虫植物を除けば、「正義」の存在と言えるだろう。でも、神様というか、自然という存在は、動物を作り、この地球に繁栄させた。
 もう1つは、《交尾式生殖》という、より明確な優性選択の仕組みだ。ここにも、雄による雌の奪い合いといった、混乱の種が仕組まれている。まあ、それも1つのドラマである、とも考えられるが、神様というか、自然という存在が、この世界にドラマを求めている、ということも、疑いはないだろう。
 そして最後が、生存にとっての効用ではなく、孔雀の尾羽根のような、ただ純粋に、質的に高度なもの、即ち《ポテンシャル》を神様というか、自然という存在が求めているのか、という事実だ。
 この《定向進化》、《行き過ぎの進化》が「美」という価値観と大きなつながりを持っているのも、また確かだろう。僕には、安達先生が《ポテンシャル》を強調しすぎているような気がしてならない。これは、進化がポテンシャルを追い求めているというよりも、「善」の要素と共に、進化には「美」という要素がある、と考えるべきではないか。

第1章第2節あらまし

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