(5) 自己改良の進化
(5) 自己改良の進化
本文
[生態学と住み分]
[1生態的時空に1種が君臨]
[同種間の闘争]
[近親淘汰が主である]
[自己改良の進化]
[遺伝子淘汰論]
[有性生殖を基盤にした進化のための仕組]
[ミッシング・リンクは最初から無かった]
・地球では炭素資源が多量に逃散して行き、地球生物は、少ない炭素資源を奪い合って生きてきた。そして、カンブリア紀以降は、地球表面の炭素は、殆ど生物体になってしまって、正に生物が生物を食って生きて行くというような状況になってしまっていたのである。
・《種》が夫々一つの《生態的時空》を占有して棲息していることを《住み分け》というのである。
・地球全体で、優れた生物が最後に唯1種だけ生き残るというような具合にはなり得なかった。だが、淘汰原理が大勢であるので、一つの生態的時空に関しては、そこに1種のみが君臨するという状態にはなった。
・同一生態的時空に2種が同居して争うということは、異種の侵入によって起こるのではなく、その種の変種が現れて、それで起こる場合が殆どなのである。そして、原種と変種が争って優れた方が他を淘汰するという具合で(近親淘汰で)、種がそれぞれの系で、他の種とは無交渉で、独立して自己改良的に進化をして行く。そうした進化が、淘汰論的進化の実際なのである。なお、近親淘汰は、そのように種の自己改良に繋がる分けで、近親淘汰と子孫繁栄は、決して矛盾せず、むしろ逆に、近親淘汰こそが、子孫繁栄の最良の手段なのである。
・個体の突然変異で始まり、群れの資質改良が行なわれるまでの進化を《遺伝子淘汰論》と呼び、群れ(変種)が群れ(原種)を淘汰して進展して行く段階の進化を《群淘汰論》と呼んでいる。
・近親淘汰で自己改良の進化を進め、夫々の種が系統を作って追分的に特殊化の進化を遂げて来たとすれば、中間種の化石が見つからないのも当然で、それは、ミッシング・リンクなどではなく、始めからそれは有りはしなかったのである。
・種の分化は初期の内に一斉に行なわれ、その後は夫々の系が《近親淘汰》で特殊化の道を歩んで行ったことを示すべく、そのように描かれるようになったのである。例えば、旧世界ザル(狭鼻猿類)と新世界ザル(広鼻猿類)のような近縁な種でも、その分岐は、始新世(哺乳類時代に入って最初の1千万年以内)に行なわれたのである。
この部分を読むと、「何故、そこまで進化が必要なのか」と、僕は考えてしまう。弱肉強食などという言葉はあるが、実際の進化は、ほとんどが身内同士の近親淘汰である。近親淘汰で特殊化が生まれ、その中の優れた者が栄えていく。これを、どのように解釈したらいいのだろう。でも、それが事実なのだから、仕方がない。ある意味、人間社会が生きにくいのも、当然だろうか。
第1章第2節あらまし
本文
[生態学と住み分]
[1生態的時空に1種が君臨]
[同種間の闘争]
[近親淘汰が主である]
[自己改良の進化]
[遺伝子淘汰論]
[有性生殖を基盤にした進化のための仕組]
[ミッシング・リンクは最初から無かった]
・地球では炭素資源が多量に逃散して行き、地球生物は、少ない炭素資源を奪い合って生きてきた。そして、カンブリア紀以降は、地球表面の炭素は、殆ど生物体になってしまって、正に生物が生物を食って生きて行くというような状況になってしまっていたのである。
・《種》が夫々一つの《生態的時空》を占有して棲息していることを《住み分け》というのである。
・地球全体で、優れた生物が最後に唯1種だけ生き残るというような具合にはなり得なかった。だが、淘汰原理が大勢であるので、一つの生態的時空に関しては、そこに1種のみが君臨するという状態にはなった。
・同一生態的時空に2種が同居して争うということは、異種の侵入によって起こるのではなく、その種の変種が現れて、それで起こる場合が殆どなのである。そして、原種と変種が争って優れた方が他を淘汰するという具合で(近親淘汰で)、種がそれぞれの系で、他の種とは無交渉で、独立して自己改良的に進化をして行く。そうした進化が、淘汰論的進化の実際なのである。なお、近親淘汰は、そのように種の自己改良に繋がる分けで、近親淘汰と子孫繁栄は、決して矛盾せず、むしろ逆に、近親淘汰こそが、子孫繁栄の最良の手段なのである。
・個体の突然変異で始まり、群れの資質改良が行なわれるまでの進化を《遺伝子淘汰論》と呼び、群れ(変種)が群れ(原種)を淘汰して進展して行く段階の進化を《群淘汰論》と呼んでいる。
・近親淘汰で自己改良の進化を進め、夫々の種が系統を作って追分的に特殊化の進化を遂げて来たとすれば、中間種の化石が見つからないのも当然で、それは、ミッシング・リンクなどではなく、始めからそれは有りはしなかったのである。
・種の分化は初期の内に一斉に行なわれ、その後は夫々の系が《近親淘汰》で特殊化の道を歩んで行ったことを示すべく、そのように描かれるようになったのである。例えば、旧世界ザル(狭鼻猿類)と新世界ザル(広鼻猿類)のような近縁な種でも、その分岐は、始新世(哺乳類時代に入って最初の1千万年以内)に行なわれたのである。
この部分を読むと、「何故、そこまで進化が必要なのか」と、僕は考えてしまう。弱肉強食などという言葉はあるが、実際の進化は、ほとんどが身内同士の近親淘汰である。近親淘汰で特殊化が生まれ、その中の優れた者が栄えていく。これを、どのように解釈したらいいのだろう。でも、それが事実なのだから、仕方がない。ある意味、人間社会が生きにくいのも、当然だろうか。
第1章第2節あらまし
