(4) 淘汰原理と生態学的相互扶助
(4) 淘汰原理と生態学的相互扶助
本文
[ダウイニズムの誤解]
[生態学]
[生存闘争から最適者生存へ]
[多系進化になった理由]
[食い尽しの心中的絶滅もあったはず]
[依存関係のない場合]
・《進化》というのは、正しくは《維持と変化と選択》の三っつの機能が鼎立した構造(かたち)のシステムが出来上がって、初めて起こる動態なのである。
・《生物の進化》において、神様が専ら使用された《価値選択》の機能は、言うまでもなく《淘汰原理》であった。
・生物界には、いわゆる万物の霊長である人類もいるが、同時に、生物誕生の最初に現れた珪藻などの、構造が極めて単純な下等なタイプの生物も、厳然と生きているのである。そのように、あらゆる進化段階の生物が、同時に勢揃いして生存しているような状況になることを《多系進化》と呼んでいる。
・ダーウィンは、『種の起源』の初版から4版までは《生存闘争(Struggel for Existence)》の語を使用していた。その後、親友であったA・ウオーレスの奨めで、5版から、それを《最適者生存(Survival of the Fittest)》の語に訂正した。ダーウィンは、『種の起源』の第5版の6章に「ハーバート・スペンサー氏の用いておられる最適者生存の語の方が、正確であり、ときには便利でもある」と書き込んでいる。
・後進の生物は、先進の生物の存在を前提にし、それに依存して出現してくるものなのである。そのように、後進者と先進者の間に依存関係があるとすれば、先進者は、それが如何に下等なものであっても、当然、その生存が保証されることになる。そういうことで、この地球上では、あらゆる進化段階の生物が勢揃いして生存しているという、いわゆる《多系進化》状態になったのである。
・ライオンには、獲物が絶滅することを心配するような心はない。また、己の絶滅を恐れるような心もない。ライオンは、捕れるものなら、もっと沢山獲物を捕りたいと思っている。しかしライオンにはその実力はなく、生きていくすれすれの量の獲物しか取れないのである。
・食い尽しをやらかす奴もいる。そいつらは心中的絶滅をして、淘汰されていなくなる。食い尽しをしたくても、その実力がなく、細々と生き永らえる者もいる。結局そうした者達だけが、後世まで生き残ることができた。それが、生物の進化の実際だったのである。
・酸素の吸い尽くしをしてしまい、酸欠状態になっているのである。
ここまでの安達先生の論文を読むと、この宇宙の進化というものが、偶然のようでいて、1つの方向性を持っているように思えるのは、僕だけだろうか。生物の進化は、「弱肉強食,優勝劣敗」でもなく、「極端な平等主義,平和主義」でもないが、その中道を進みながら、絶え間なく進化を続けてきた。
ここで思うのは、その進化が1つの方向性を持って繰り広げられてきた、とするなら、その究極の目的といったものが、必ず、存在する、と言うことである。
第1章第2節あらまし
本文
[ダウイニズムの誤解]
[生態学]
[生存闘争から最適者生存へ]
[多系進化になった理由]
[食い尽しの心中的絶滅もあったはず]
[依存関係のない場合]
・《進化》というのは、正しくは《維持と変化と選択》の三っつの機能が鼎立した構造(かたち)のシステムが出来上がって、初めて起こる動態なのである。
・《生物の進化》において、神様が専ら使用された《価値選択》の機能は、言うまでもなく《淘汰原理》であった。
・生物界には、いわゆる万物の霊長である人類もいるが、同時に、生物誕生の最初に現れた珪藻などの、構造が極めて単純な下等なタイプの生物も、厳然と生きているのである。そのように、あらゆる進化段階の生物が、同時に勢揃いして生存しているような状況になることを《多系進化》と呼んでいる。
・ダーウィンは、『種の起源』の初版から4版までは《生存闘争(Struggel for Existence)》の語を使用していた。その後、親友であったA・ウオーレスの奨めで、5版から、それを《最適者生存(Survival of the Fittest)》の語に訂正した。ダーウィンは、『種の起源』の第5版の6章に「ハーバート・スペンサー氏の用いておられる最適者生存の語の方が、正確であり、ときには便利でもある」と書き込んでいる。
・後進の生物は、先進の生物の存在を前提にし、それに依存して出現してくるものなのである。そのように、後進者と先進者の間に依存関係があるとすれば、先進者は、それが如何に下等なものであっても、当然、その生存が保証されることになる。そういうことで、この地球上では、あらゆる進化段階の生物が勢揃いして生存しているという、いわゆる《多系進化》状態になったのである。
・ライオンには、獲物が絶滅することを心配するような心はない。また、己の絶滅を恐れるような心もない。ライオンは、捕れるものなら、もっと沢山獲物を捕りたいと思っている。しかしライオンにはその実力はなく、生きていくすれすれの量の獲物しか取れないのである。
・食い尽しをやらかす奴もいる。そいつらは心中的絶滅をして、淘汰されていなくなる。食い尽しをしたくても、その実力がなく、細々と生き永らえる者もいる。結局そうした者達だけが、後世まで生き残ることができた。それが、生物の進化の実際だったのである。
・酸素の吸い尽くしをしてしまい、酸欠状態になっているのである。
ここまでの安達先生の論文を読むと、この宇宙の進化というものが、偶然のようでいて、1つの方向性を持っているように思えるのは、僕だけだろうか。生物の進化は、「弱肉強食,優勝劣敗」でもなく、「極端な平等主義,平和主義」でもないが、その中道を進みながら、絶え間なく進化を続けてきた。
ここで思うのは、その進化が1つの方向性を持って繰り広げられてきた、とするなら、その究極の目的といったものが、必ず、存在する、と言うことである。
第1章第2節あらまし
